「丁度良い」と「自助努力」

 高齢者になると檀家寺の役職も順番に廻って来て、法話を聴く機会が増えます。

「丁度良い」は、数年前の永代経の説法で聴いた詩です。

 

「丁度良い」   石川県野々市町真宗大谷派常讃寺坊守・藤場美津路(みつじ)作

 

お前はお前で丁度よい   顔も体も名前の姓も   お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も     息子の嫁もその孫も   それはお前に丁度よい

幸も不幸もよろこびも   悲しみさえも丁度よい  歩いたお前の人生は

悪くも無ければ良くもない     お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと     行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない     上もなければ下もない

死ぬ月日さえも丁度よい    仏様と二人連れの人生   丁度良くないはずがない

丁度よいのだと聞こえた時   憶念の信が生まれます   南無阿弥陀仏

 

 藤場様は寺に嫁いだ後も、昭和53年まで30年間教員をされ、誰にもある自我や葛藤で苦しまれた様です。ある法話を聴き、道を求めていた自己に気付き「仏様の声が頭の中に聞こえて来たから、そのまま書き取りました」と云う事です。それ以降は寺での自分の居場所を見つけられ、寺報「法友」を発行され、1982年2月号に「丁度良い」を掲載されました。

 これは親鸞聖人の教えである「平生業成(へいぜいごうじょう)」と云う、生きている間に、阿弥陀如来の本願に救われた事を認識できて、「人生の目的」を達成された素晴らしい事です。この中に「憶念の信」と云う難しい言葉が出てきます。「憶念」とは「心に堅く念う」「心に念いを保つ」「心に念じて忘れない」と云う意味です。「憶念の信」とは「阿弥陀如来の本願を信じ、すべてをお任せする」と云う事です。

 

 近代の日本では明治維新と昭和20年の敗戦で、国民の価値観が大きく変化しました。今の時代は文明の端境期で、より大きな価値観の変動が有るでしょう。目前に迫りくる大不況、食糧不足など、「天は自ら助くる者を助く」の「自助努力」でなければ、生き抜くのは困難だと感じます。感染力や致死率が強くなったコロナウイルスの第2波は秋ごろ、より強力な第3波は来年の春にも来そうです。

 日本経済はGDPに占める日本政府の借入金の割合は240%で、2024年の新円切り替え時の銀行預金封鎖や財産税、デノミネーションなどが巷で噂されています。それ以上に不気味なのが米国FRBの無制限量的緩和です。日本銀行も銀行券(お金)を刷りまくり財政ファイナンスハイパーインフレの可能性を否定できなくなりました。基軸通貨国であるアメリカそして日本がインフレになれば、世界同時インフレになります。

 「阿弥陀如来の本願を信じて、すべてをお任せする」か「自己の智慧とインスピレーションに基づき、必死に自助努力」するの選択になりそうです。

 人間も動物の一員です。群れや集団に貢献する。お役に立つ事です。他人と共助して頑張らなければ、この艱難時代は乗り切れないでしょう。