高野聖と我が家の龍神

 仏教発祥の地インドでは、仏陀を護る八部衆の一つに蛇(ナーガ)の神がいます。蛇と言ってもコブラの様な感じです。仏教が中国に伝わると、もともと中国にあった龍信仰と結び付いて、このナーガが龍になりました。

 龍は中国で生まれた想像上の神獣です。龍という字は、殷(商)王朝(BC17世紀~BC1046年)で用いられていた甲骨文や、殷王朝を滅ぼした周王朝(BC1046年~BC256年)にかけて鋳造された青銅器の金文に見られ、中国では古代から龍と関わって来た事が解ります。

 青龍神空海が学んだ長安青龍寺の鎮守でしたが、空海の帰国と共に日本に渡って来ました。九州では「雨師明神」、大和の室生寺では「善女(善如)」と呼ばれていました。青龍神空海入定後は醍醐山に定住して、国と民を護り、旱魃には雨を降らせて五穀を実らせたと伝えられています。

 私の住む河内国では、旱魃に苦しむ民衆の雨乞いに、上役の龍に止められている雨を降らせ、激怒した上役の龍に胴体を3つに切断されて地上に落下した若い龍の民話が伝わっています。

 実は我が家にも龍神様が鎮座していらっしゃいます。私が小学生の時、好奇心から神棚の宮形を順番にコッソリ開き、叱られた事がありました。母に尋ねると龍神は「青龍王」で、大東亜戦争が始まる少し前(昭和16年11月)に、高野山の僧に勧められてお祀りしていると言っていました。

 泉鏡花の小説「高野聖」で、高野山勧進遊行僧の事は知っていましたが、昭和前期まで高野山勧進僧が現実にいた事に驚きました。ちなみに祖母と母は信仰というより弘法大師空海ファンの感じの人でした。青龍王をお祀りする以前から、小さな大師像をお祀りしています。